インターネットは民主主義の敵なのか? 2014.8.18
佐々木俊尚現在の視点
2010年代に、日本のネット言論空間には大きな変化がありました。まずブログからツイッターなどのSNSへと基盤が変わったこと。そして雑誌文化が一気に衰退してしまったこと。最後に、ロスジェネ世代と交代して1980年代生まれ以降の若い世代が台頭してきたことです。これらの変化を読み解きながら、ネット言論の変遷を振り返って分析しています。
2010年代、ネットメディア周辺で起きた3つの変化を読み解く 〜〜インターネットの言論空間はどう変わってきたのか。その歴史を振り返る(4)
2ちゃんねるを基点とする日本のネット言論が、冷笑と皮肉の文化を形成し、それは「ニコニコ動画」的な洗練された萌え系文化などを生み出す土壌にはなったけれども、一方で真っ当な公論を成立させるための公共圏的な機能は持ち得なかった……それが、2000年代後半の日本のインターネットの状況でした。こうした構造に対して、梅田望夫さんの「残念」という感想が生まれたというのは前回説明した通りです。
そういう中で迎えた、2010年代。2010年というのは特に人々の記憶の中に残っている年ではないと思いますが、今になって振り返ってみると、さまざまな転機があった時期でした。 まず第一に、ブログブームが一巡して終息し、代わってツイッターという新たなコンテンツ流通基盤が普及してきたこと。
第二に、雑誌の休刊が相次いだ結果、雑誌文化がこの時期に急速に衰えて存在感をなくしてしまったこと。
第三に、ネットの世代交代が徐々に始まり、デジタルネイティブ第1世代だったロスジェネにかわって、80年代以降生まれの若いネット世代が台頭してきたこと。
ひとつずつ説明しましょう。まず第一の変化ですが、SNS自体でいえば、それ以前からミクシィや携帯電話のモバゲーは普及していました。しかしミクシィやモバゲーはあくまでも人と人がつながるためのネットワークであり、ニュースなどの情報をそこで共有し議論するというような場ではなかったのです。しかしツイッターはつながりだけでなく、情報が流通する基盤としての要素を兼ね備えていました。この情報流通基盤としての機能は、翌年2011年の震災とともに一気に広がっていったのは記憶に新しいところです。
このソーシャルメディアの流通基盤は、かなり厄介な問題も引き起こしています。ブログの時代と比べれば、SNSの利用者は格段に広がりました。都市ビジネス層の一部の知的な遊びだったブログ圏域とくらべると、ツイッターやフェイスブックを使う人は老若男女、都市地方にまたがって広がってきています。しかし一方で、ソーシャルメディアはその特性から、クラスター化(閉鎖圏域化)を引き起こしやすいという問題が起きています。
この問題については、わたしは「新たなデジタルデバイド(デジタル格差)が生まれるのではないか」と2010年ごろから指摘してきました。どういうことでしょうか。
振り返ってみると、テレビや新聞などのマスメディアは、媒体数も少数に絞られていて、誰でもアクセスしやすいように提供されているため、情報受信機会の不平等はほとんど発生しませんでした。ところがソーシャルメディアでは、自分が求める情報圏域は自分自身で探さなければなりません。