マスメディア言論が劣化した本当の原因とは?(後編)〜〜当事者の発信に勝てない野次馬記者たち

佐々木俊尚の未来地図レポートのアーカイブ Vol.163をお送りします
佐々木俊尚 2022.07.21
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佐々木俊尚現在の視点

 「第三者の視点」や「客観中立的報道」という用語が新聞などのジャーナリズムにはありますが、これらはしょせん幻影にすぎないということを欠いています。神の視点から「上から目線」で報じるのではなく、つねに相手との関係性の中で巻き込まれることによってでしか、われわれは何かを表現することはできないのではないでしょうか。

当事者主義・試論(後編)

 マスメディアの報道にはこれまで決定的に当事者意識が欠落していました。この背景には、二つの要因があります。ひとつめは、マスメディアは公益性の立場から不偏不党であることを宣言していて、この不偏不党を実現するために「客観中立報道」を標榜していたこと。

 しかし客観中立などということが本来可能なのでしょうか。まずそこからスタートしなければなりません。

 そもそも、「客観中立」を実現するためには、その前提となる何かの対立軸があって、その対立軸から一定の距離を置くというようなことを明示的に、不断に行っていく必要があります。しかしいまの時代を見ると、そもそも対立軸がどこにあるのかははっきりしません。少なくとも政治のシーンを見る限りでは、イデオロギーや政治思想の対立というものは存在しないし、民主党と自民党の政策の何が対立しているのかを明確に言える人は少ないでしょう。そしてマスメディアの側も、民主党と自民党の二大政党の間でバランスを取ることに腐心しているとは思えません。

 1990年代半ばまでの55年体制下では、もう少し対立軸は明確でした。自民党と社会党という与野党の対立軸が永続的に存在していて、そこに総中流社会という安定的な基盤が下支えしていたのです。総中流基盤と与野党というトライアングルがそこには存在し、そのトライアングルの中でバランスを取っていくことが、当時のマスメディアの客観中立報道だったといえると思います。

   つまりは55年体制という大きな物語に依拠することで、マスメディアは自分で物語を用意する必要もなく、そこに用意されている対立軸を再利用すれば良かったということなのでしょう。

 とはいえ、その「与野党激突」のような対立軸は実はフィクションでしかなく、実のところ自民党と社会というは国対政治という手法で水面下でがっちり手を握っていて、舞台で演じられる芝居のように国会で「激突」を演出しているだけでした。だからマスメディアも与野党もそして安定基盤の国民も、よりどころを求めていた先はそういう幻想の物語でしかなかったということなのかもしれません。言い方を変えれば、高度経済成長という右肩上がりの社会においては、そういう幻想でも十分だったということなのでしょう。

 言い換えれば、もともとわれわれは当事者意識を持っておらず、55年体制という物語に依拠していただけの傍観者だった。しかしそれが消滅したことで、当事者であることに直面しなければならなくなったというのがいまの時代の実態なのかもしれません。当事者であることが「失われた」のではなく、もともと欠落していたことが可視化されてしまったということなのです。

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