朝日の凋落が象徴する「戦後リベラルの終焉と新しい政治勢力」
佐々木俊尚現在の視点
311の震災、その後の第二次安倍政権成立。このあたりから日本の政治や社会をめぐる状況は大きく激変してきたとわたしは捉えています。この2014年の論考は、まさにその渦中でいったいどのような空気の変化があったのかをつぶさに語ったものです。
朝日新聞誤報事件で、日本の戦後リベラルはついに幕を閉じた 〜〜この先に構築すべき政治勢力の可能性と、その課題とは
先日、五反田のゲンロンカフェで思想家の東浩紀さんと対談しま した。タイトルは「ウェブで政治は動かせるのか?」。
わたしは今夏、『自分でつくるセーフティネット』という本を上 梓してその中で、「総透明社会においては広く多くの人とつながる 『弱いつながり』こそが重要である」と書いたのですが、東さんも ほぼ同時期に『弱いつながり』というまさに同じ方向性の意味を持 った本を出されており、偶然のシンクロニシティに非常に驚きまし た。
わたしの本はあくまでも弱いつながりが社会のセーフティネット になるという視点で書いているのに対し、東さんの本は、知的な好 奇心を満たすためには日常的な関係ではないところからの新鮮な情 報が必要であるという指摘なんですね。偶然の出会いや発見の多い 旅に出ることによって、新たな視点が得られるということです。
対談は冒頭、朝日新聞の誤報問題からスタートしました。わたし は朝日新聞が謝罪会見した9月11日、「なんだか日本の戦後リベラ ルが、ついに轟音を立てて崩れ落ちて灰燼に帰していくような夜だ 」とツイートしたのですが、戦後の55年体制で確立した「保守vs革 新」みたいな構図が、冷戦終了から20年余を経てついに消滅したと いう状況になっているのではないかと考えています。当時は「革新 」と呼ばれていた左翼勢力は最近は「リベラル」と名乗るようにな ってきていましたが、そもそもこれは本来的な意味でのリベラル( 自由主義)ではありません。なので「日本式リベラル」とか「リベ サヨ(リベラル風左翼)」とかいろんな呼ばれかたをしてきました 。
この左翼的な勢力は、55年体制の保守vs革新構図の中では、権力 に対抗するアンチテーゼとして意味があったと思うのですが、冷戦 崩壊後の多極化する世界とグローバリゼーションの中では、もはや ほとんど意味をなくしていたと思うんですね。この左翼勢力の主義 主張は「反権力」「反グローバリゼーション」「反テクノロジー」 「反資本主義」「脱経済成長」「反原発」といったところだったと 思うのですが、こういう主張ではもはや複雑な現代の状況をまった く包含できなくなってしまっています。
わたしの友人の境治さんは、こう書いています。 『朝日はそうした左翼的言論の象徴的存在だったが、どのマスメデ ィアにも反権力アイデンティティを多かれ少なかれ感じていた。み んな弱者似寄り添い庶民の味方だという。でも結局、何が主張なの かわからない。いまいろんな番組にご意見番的に出てくる新聞社や 通信社のOBのおじさんたちも、ぼくには朝日とそんなに変わらない ようにしか見えない。日本のジャーナリズムを乱暴に括ると弱者に 寄り添い反権力を標榜すること以上には何も言ってない人びとだっ たと思う』
■息苦しいのは、互いに首を絞めあっているからだ。
http://bit.ly/1vmDS0M
まさにその通りだ、と思います。だからこういう「反権力」を軸 とした左翼勢力は衰退するのは運命づけられていたということでも あったのですが、しかし朝日新聞の誤報問題によってこの事態がい ままさに具現化してくると、そこで同時に浮かび上がってきたのは 、安倍政権という強力なパワーに対抗できる政治勢力がもはやどこ にも存在していない、というエアポケット的状況だったんですね。
そもそも安倍政権に対抗する必要があるのか? それこそまさに 古い左翼勢力の「反権力」と同じ考え方でしかないんじゃ?と思わ れる方もいるでしょう。わたしは安倍政権が旧来の自民党政策を引 き継ぐ形で進めている、リアルな安全保障・外交戦略については高 く評価しています。中国という超大国化しつつあるパワーに対抗し 、東アジアを不安定化させないためには、日米関係の強化が重要で すし、インドや東南アジアとの連携も必要です。特定秘密保護法や 集団的自衛権の行使容認はそうした戦略の一環として捉えるべきも のであり、「国家が国民を監視する」とか「国民を戦場に送る」と か、そういう扇情的な反対は無意味だと考えています。そして、そ ういう扇情的な報道を繰り返してきたのが朝日新聞や東京新聞だっ たんですね。