記者・編集者が酒を飲まなくなった理由〜業界構造の急変がもたらしたマスメディアの衰退〜

佐々木俊尚の未来地図レポートのアーカイブ Vol.96をお送りします
佐々木俊尚 2022.12.08
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佐々木俊尚現在の視点

 本来英語圏で使われてきたジャーナリストという言葉は、「正義の味方」ではありません。メディアを使い、情報を伝達する人のことを指しているだけなのです。日本では「正義の味方」のイメージが強く、権力監視をしている人というステレオタイプが広まっていますが、これから求められるジャーナリズムの役割についてこの原稿で論じています。

新時代のジャーナリストに必要なスキルとは(前編)

 今回のテーマは、「ジャーナリストはどのようにしてこの厳しくつらい時代を生き延びていくのだろうか?」という私のようなフリーランスの人間にとってはかなり深遠なお話です。

 もちろん「時代の要請などなければジャーナリズムなど不要」「必要があれば生き残る、それだけ」という意見はあり得るでしょう。私も折りに触れてそういう言い方をしてきてはいます。しかしながら一方で、より良いメディア空間が今後の社会に立ち上がってくるとすれば、そこに向かって歩みを進めるためには、ジャーナリズムの側にもそれなりの戦略や戦術が必要になってくるでしょう。嵐の中で、ただひたすら呆然とうずくまっているだけでは未来はやってこないのです。

 そこには2つのファクターがあります。ジャーナリストと、メディアビジネス。たとえば新聞記者は新聞社社員であるように、従来のマスメディアにおいてはこの二つは一体化していることがごく普通でした。しかしこの統合は今後解き放たれていきます。

   3月の放送記念日に放送されたNHKスペシャル『激震マスメディア』の討論でも述べたことですが、いまマスメディアが崖っぷちに立たされている根幹の問題は、ごく単純な「需要と供給」の問題だと私はとらえています。かつては情報がマスメディアにほぼ一本化され、供給が絞られていました。情報を求める需要は今と同じぐらいあったのですが、供給が少なかったため、そこに情報への飢餓感のようなものが生まれて、みんな争ってマスメディアから発信される情報に飛びついていたというわけです。

 ネット以前の時代のことをもう忘れている人も多いかもしれません。少し昔話をしてみましょう。たとえば私は1980年代に大学生だったころ、本をたくさん買うようなカネはなかったけれども、朝日新聞ぐらいは購読し、ついでに月に数冊の雑誌は買っていました。でもそこで読める絶対的な分量は自分の情報への餓えとくらべればあまりにも少なく、読むものがなくなってくると仕方なしに折込広告のチラシの文面を読んでみたり、新聞の中面の求人広告を隅から隅まで眺めてみたりしていました。私と同じような経験をしている中高年の人もいらっしゃるのではないでしょうか? 情報誌『ぴあ』の欄外投書コーナー「はみだしYOUとPIA」なんて舐めるように読んでいたんです。そういうふうに新聞や雑誌をくまなく消費していた人は当時多かったのではないかと思います。

 しかしインターネットの出現によって、劇的にこの需給バランスが崩れました。大量の情報がネットで供給されるようになり、相対的にマスメディアの情報の価値は下落してしまったからです。

 最初のころはそれでも「ネットの情報なんて便所の落書き」と考えられていましたから、きちんとオーソライズされたマスメディア情報の価値は減じないと思われていました。ところが2005年ごろからブログによって膨大な数の専門家が自分の知見や論考・分析をネットで発信するようになると、「マスメディアの情報なんて実は専門性が全然ない!」ということがあからさまに露見してしまうことになってしまったのです。

 この情報インフレーションの中で、垂直統合によるマスメディアビジネスはもう維持不可能になっています。だから今後はメディアプラットフォームと、コンテンツを発信するジャーナリスト(あるいは番組制作者)は水平分業していかざるをえません。

 そしてそのような未来像においては、メディアプラットフォームもジャーナリストの側も、従来とはまったく異なるモデルへと間違いなく変化していくことになるでしょう。それをどのような企業体が担うのか、進化した新聞社や放送局なのか、それともネット企業なのか、あるいはフリーランスの連合体なのかはまだわかりません。重要なのは、そうしたおのおのの企業のサバイバルの策の話ではなく、新しいビジョンの中でどのようなかたちでメディアが成立していくのかを考えていくことなのです。  将来のメディアビジネスが今後、どのように立ち上がってくるのかは、また別の機会に譲りましょう。今回は、ジャーナリストの将来像について絞って考えてみることにします。

 まず、ジャーナリストの再定義が必要かもしれません。先ほども書いたように、新聞記者の専門性のなさと専門家ブロガーの情報発信が拡大する流れの中で、ジャーナリストというものがそもそも必要なのかどうかという疑問も出てきています。しかし私個人の意見としては、ブログやTwitterで情報発信する専門家とは異なる役割を担う存在としてのジャーナリストの存在意味は消滅するわけではないと考えています。

 ではそれはどのようなものでしょうか。

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