ジャーナリストは生き残りをかけて「起業家」になる
佐々木俊尚現在の視点
イーロン・マスクのツイッター社買収で、ツイッターがメディア空間に与えている影響についてあらためて議論になっていますが、これはわたしが2010年、新聞やテレビが世論形成においてどのような役割を担っているのかを解説した内容です。メディアの役割や意義については、今も昔も変わっていないことがわかります。
マスコミの世論形成機能はインターネットが担えるのか
新たなネットメディアが次々と登場してきていて、これらのメディアを使った新たなタイプの情報発信や情報流通が行われるようになってきています。果たしてこれらのメディアは、従来はマスメディアが担っていた世論形成プロセスを代替するようになっていくのでしょうか?
「一般市民がブログで新聞記事の批判を書くようになった」「新聞が電子ブックリーダーで読まれるようになる」といった話はすでにさんざん語られていて、新味も何もありません。でもこうした断片的な情報を次々と仕入れていっても、新聞ビジネスの将来を考える中ではひたすら混乱するばかりでしょう。もうすこし構造的にロジカルに検討していく必要があります。 マスメディアの世論形成にいたるプロセスを、分解してみましょう。たとえば新聞報道は、次のような機能を持っています。
(1)一時情報を取材し、記事化して読者に伝える情報伝達機能
(2)さまざまな一次情報から読者に必要な情報だけを取捨選択する情報集約機能
(3)その情報に対する評価と意味づけを行い、世論を喚起するアジェンダ(議題)設定機能
(4)独自の調査報道による権力監視機能
問題はこれらの機能が、インターネットによる新しいメディア群によってどの程度代替されるかということなわけです。もちろん現時点では、インターネットメディアがマスメディアを代替するというようなことは起きません。ネットができることは非常に限られているし、新聞のもっている機能のすべてをカバーできるわけではないからです。
かなり代替されるようになってきている部分はあります。典型は(3)のアジェンダ設定。たとえばブログの世界には、弁護士や会計士、大学教員、企業経営者といった専門家が集まっており、これらの人々が述べる専門的知見は新聞記者の解説記事を凌駕しています。もちろんこれらの専門家はかなりの部分インサイダーであって、新聞記者の持つ客観性に欠ける場合もあるでしょう。しかし多くのインサイダー的見地から語られたブログが数多く集積してくることで、結果的に複眼的な記事を読むのと同じ価値を得られるようになります。ネットは数が勝負なのです。