ポピュリズムが民主主義をアップデートする」トランプと橋下徹とブレグジットの政治史における役割 2017.4.3

佐々木俊尚の未来地図レポートのアーカイブ Vol.442をお送りします
佐々木俊尚 2022.07.07
誰でも

佐々木俊尚現在の視点

 ポピュリズムは民主主義の暗黒面だと思われていますが、しかし実は民主主義の機能不全なのではなく、ある種の安全弁であり、次の段階へと民主制が進むための「段階」であると捉えるべきだという考え方があります。『ポピュリズムとは何か 民主主義の敵か、改革の希望か』という刺激的な本を出された千葉大学の水島治郎さんとの議論を紹介しています。

ポピュリズムは民主主義を新たに民主化する「デモクラタイジング・デモクラシー」である 〜『ポピュリズムとは何か』の水島治郎さんと対談した(後編) 

千葉大学の水島治郎さんと、月刊誌「潮」で対談いたしました。水島さんは以下の非常に刺激的な本を出された研究者です。

◆『ポピュリズムとは何か – 民主主義の敵か、改革の希望か』

http://amzn.to/2lPNQ0x

 前回は水島さんのこの著書から、ポピュリズムというものが再定義されるべきであるという話を書きました。それは民主主義の機能不全なのではなく、ある種の安全弁であり、次の段階へと民主制が進むための「段階」であると捉えるべきだということです。

 このあたりについて私は対談で「日本ではポピュリズムは大衆迎合主義と訳され、『悪いものだ』『民主主義に対する脅威だ』という安易なレッテル貼りがなされてきた面がありますね。水島さんの本はそうではなく、ポピュリズムのプラス面にも光が当てられています」と問うたところ、水島さんは次のように語られていました。

 「悪いレッテルを貼ると、そこで議論が停止してしまいますからね。ポピュリズムには、たしかに危険な面もあります。しかし、たとえばラテンアメリカでは、ポピュリズムがさまざまな政治的革新をもたらしました。『エリート主導の政治ではできなかったことを、ポピュリズムが可能にする』という側面もあるのです。大切なのは、ポピュリズムの可能性と危険性の両面を、しっかり見極めることだと思います」

 ここでひとつ、問題意識として提起されてくるのは「なぜ日本はポピュリズム化していないのか?」ということ。まあ左派には「安倍政権はポピュリズム!」と怒る人もいるかもしれませんが、安倍政権の政策は右派的な心情をたぶんに含んではいるとはいうものの(教育勅語をめぐる議論など)、政策全体にはポピュリズム的な要素は強くはありません。ポピュリズムに典型的な、排外的で敵対的な要素が少ないからです。その意味では、水島さんが著書の中で書かれているように、大阪市長時代の橋下徹さんがポピュリズム政治に最も近かったと言えるでしょう。

 佐々木「水島さんの本を読みながら、僕は日本のことを考えていました。日本にはまだ欧米に比べればポピュリズムが大きく台頭していませんが、その理由としては、移民がほとんどいないことが一つ。あとは、格差・貧困化が欧米と違う形で表れている点があるのだと思います。たとえばアメリカの場合、1パーセントの超富裕層が国の富の90パーセント以上を独占し、中流層がすごい勢いで貧困化しています。その点、日本の中流層はそこまで転落していないし、一方で超富裕層もそんなにいない。そのため、『移民対自国民』とか、『超富裕層対庶民』などという対立構造が顕在化しにくい。それが、日本があまりポピュリズム化していない背景にあるのではないでしょうか」

 これに対して、水島さんの返答はこうでした。 「おっしゃるとおりです。昨年、アメリカとイギリスでポピュリズムの嵐が吹き荒れるブレグジットとトランプ大統領誕生が相次ぎました。これは偶然ではない。グローバル化の最前線だからこそ、その影の面も出てきてしまったのだと思います。その点、日本は国内市場が縮小しながらもまだそこそこ元気だし、グローバル化に晒されていると言っても、首都東京でさえ街を行き交う人に外国人はまだまだ少ない。良くも悪くも、日本は世界のグローバル化に一歩遅れているわけです。だからこそ、グローバル化や大都市と地方の格差を背景としたポピュリズムは、まだ勢いを持ちにくい」

 ヨーロッパにおけるポピュリズムは当初、「反移民」というよりは「反規制」だったと水島さんは言います。これが第一段階でした。ガチガチの規制をもっと緩やかにしようという動きが、無党派層に支持されたのです。しかし1990年代以降、この運動が「反移民」に活路を見出すようになり、「福祉排外主義」へと結びつきました。これは福祉国家を守るために、移民・難民などの流入を制限すべきとする立場です。

 橋下徹さんの維新は、このヨーロッパの第一段階ポピュリズムによく似ているというのが水島さんの指摘です。つまり排除された貧困層に訴えかけるのではなく、既得権益を守っている体制に不満を持つ中間層に訴えかけている。これは小泉改革も同じでしたね。

 ヨーロッパでこの第一段階から反移民へという流れを考えると、日本で今後グローバル化が進み、移民が増え、格差が広がってくると、同じように第二段階ポピュリズムとしての福祉排外主義が力を持ってくる可能性はつねにはらんでいると言っていいでしょう。

 こうした福祉排外主義には、マイノリティに対する誤った視点の問題が含まれています。私は2012年の著書『「当事者」の時代』で、マイノリティ憑依という概念を提示しています。これはマスメディアが、マイノリティに乗り移って、マイノリティの視点で社会を語ってしまうという病弊を意味するものです。日本では1970年代に総中流社会が完成し、社会の9割の人たちが「自分は中流だ」と思うようになりました。この中でメディアが普通の国民を描いてもあたりまえすぎて面白くないということになり、もっぱらマイノリティ、弱者を取材するようになったわけです。

 この手法はある時期まで有効でしたが、90年代に入ってグローバリゼーションとともに総中流社会が衰退すると、中流からすべり落ちた側から、「マスコミは典型的弱者にばかり光を当てて、俺たちをないがしろにしている」という怒りが噴出するようになったのです。生活保護バッシングはその典型と言えるでしょう。

 しかしマスメディアの考えるマイノリティは、本当のマイノリティではない。自分たちが都合良く仕立て上げたマイノリティです。こういう「理想のマイノリティ」を偏重する傾向と、「理想のマイノリティ」からこぼれ落ちた人たちの怒りという構図は、いまのポピュリズムの問題と二重写しになっているのではないでしょうか。

 もう少しわかりやすく言い換えると、ポリティカルコレクト(政治的に正当性のある)な弱者、「理想のマイノリティ」にばかり光が当てられ、そこからこぼれ落ちた人たちは無視されてきたという構図があり、この構図に対する怒りが、日本社会にはずっと溜まっていました。その怒りの歪んだかたちでの表出が、たとえば「在特会」(在日特権を許さない市民の会)のような動きなのだと私は捉えています。トランプ大統領誕生やブレグジットなどの欧米での動きと、日本で在特会のような団体が一定の支持を集めることは、「こぼれ落ちた側の怒り」という一点でつながっている気がするんですよね。

 この私の意見に対して水島さんはこう語りました。「『ニューマイノリティ』という言い方もあります。元々は中核的なマジョリティであった層(欧米であれば白人)が、『むしろ自分たちのほうがマイノリティ側に押し込められ、ないがしろにされている』と怒りを感じるようになった、という意味です。そのようなニューマイノリティたちが、これまではサイレントマジョリティであったけれど、『今回は黙っていられない』と声を上げた結果が、ブレグジットであり、トランプ大統領当選だったのだと思います。面白いのは、ニューマイノリティ層の人たちが、メディアの世論調査に対しても『サイレント』をつらぬき、本音を言わなかったことです」

 だから、トランプの当選も予測不可能だったわけですね。

 この「ニューマイノリティ」という層は、先進諸国の近未来を考えるうえで非常に重要な概念になるように思えます。これまでは見えない層(忘れられた人たち、置き去りにされた人たち、という言葉もブレグジットや米大統領選では語られました)だったのが、可視化されてきた。となると、気になるのは日本においてのこのニューマイノリティです。たとえば30歳代の平均収入は20年ぐらい前から激減し、以前は30代で大企業勤務というと600万円台ぐらいの年収が期待できたのが、最近は400万円台にまで下落しています。終身雇用も見通しがなくなり、非正規雇用は労働人口の4割近くに達し、本来はマジョリティだったこの層が「弱者」化している。

 ではこの日本のニューマイノリティ層の受け皿となる政党や政治勢力はあるのでしょうか? 民主党政権の失敗以降、都市リベラル層、あるいは都市ビジネス層の受け皿になる政党は、じつは明確には存在しないのではないかとも思えます。民主党政権に失望して「維新の会」支持に回った人も多いでしょうが、その後、維新も石原慎太郎さんに接近したり、橋下徹さんの従軍慰安婦容認発言などで、都市ビジネス層の政治志向から乖離してきました。その後、受け皿になり得たはずの「みんなの党」も2014年に解党してしまいました。そうした状況の中で、「仕方なく安倍政権を支持している人」は、いまかなり多いと思います。今後、この層をすくいあげる政党が出てくれば、大きな政治勢力になり得るかもしれません。

 そういう構図の中で、ポピュリズムがどのような役割を果たしていくことになるのでしょうか。

 水島さんは話します。「私が痛切に思うのは、『20世紀型政治の終焉』をいま我々は見ているのではないか、ということです。20世紀型政治とは一言で言えば、各政党が支持団体をきっちり持ち、その各団体が所属する個人をしっかり押さえ、各個人を団体と政党が二重にくるむ形で守ってきた政治のありようです。ところが、グローバル化やライフスタイルの変化などによって、労組、農協、中小企業団体、専門職団体など20世紀型の団体で元気なところはほとんどありません。それらの団体をまとめあげていた政党も、昔に比べ弱体化しています」

 つまり支持団体を基盤とする政党のありかたが、21世紀に適合できなくなってきているということなのです。振り返れば20世紀は、人類史上きわめて特殊な時代でした。高度経済成長が先進国に一律に起きるという、過去一度もなかったことが起きたのですから。その特殊な時代に成立したモデルが、21世紀も通用すると考えるほうが、逆におかしいと言えるかもしれません。

 水島さん「ポピュリズムを、民主主義への脅威と見て否定する論調がある一方、『デモクラタイジング・デモクラシー』と表現する論者もいます。つまり、ポピュリズムは民主主義をさらにデモクラタイズ(民主化)するための力になり得ると、肯定的に捉える見方です。20世紀型政治モデルでは吸収できなくなった民意を、ポピュリズムがすくい上げるのだとすれば、そのような見方も可能だと思います」 「ラテンアメリカのポピュリズムは民衆をエリート支配から解放する力になりましたし、ヨーロッパでも、ポピュリズム政党の台頭が既成政党によい緊張感を与え、改革を促した面があります。ポピュリズムの台頭は民主政治におけるある種のサイクルの表れで、人々の不満が溜まるとポピュリズムとして爆発し、少し経つと一旦は退場していくのです」

 ポピュリズムの台頭は、民主主義の壮大なガス抜きということなのかもしれません。ガス抜きって言葉は悪いですが、けっこう大事だと私は思っています。たとえば、日本のネット言論の世界を見ると、2000年あたりはネトウヨと呼ばれた右派の人たちが声が大きくて鬱陶しい存在でしたが、ここ数年はかなり落ち着いてきました。それは、ネット上に右派言論の場がある程度確保されたことで、「自分たちの声が届く場所がちゃんとある」と彼らが感じ、不安や疎外感がある程度解消されたからだと思います。一方で最近は、左派の人たちの罵声が酷くなっています。これは右派とは逆に、左派が自分たちの意見がマスに受け入れられていないという焦りが生じてきたからかもしれません。

 自分たちの声がある程度可視化されると、人々は安心するのだということなのですね。そしてポピュリズム政治家は、そうした声をすくいあげることに長けているのでしょう。

 水島さん「ポピュリズム政治家は例外なく、言葉を用いる能力が非常に高い人々です。また、ポピュリズムの支持者は左右問わず、『あの政治家は私が考えていることを代弁してくれている』という言い方で魅力を説明することが多いですね。多くのサイレントマジョリティは、日常的に自分たちの意見を表明する場を持っていません。でも当然、思っていることはある。それを的確にすくい上げて、しかも魅力的な言葉で語ってくれる政治家がいるということは、それ自体が彼らにとって一つの『救い』になるのです」

 こういう思いの可視化ということが、実は民主主義の重要な機能のひとつです。逆に一部の人びとの思いが可視化されないということは、民主主義の機能不全である。そうであるならば、ポピュリズムは民主主義にとって重要な補完的装置であるということは言えるのではないかと思います。ヨーロッパで「反移民」を掲げる政党が勢力を伸ばしていることについて、「ポピュリズムでけしからん」とよく言われますが、「反移民」の考えを持つ人はたくさんいるわけで、その人たちの声がどこにも表出しないことのほうが逆に異常だ、という見方もできるのです。

 水島さんは「多様な主張、多くの選択肢が政治の中に用意されることは民主主義にとって望ましいし、その中で議論してこそ政治は活性化していくのです」と仰っています。ポピュリズムの台頭がガス抜きの役割を果たしたあとで、「もう一回、穏健な落としどころを考えましょう」となったほうが、民主主義のありようとしては賢明なのではないでしょうか。 (了) 

「こんな話を書いて欲しい」のご要望、たくさんいただいて恐縮です。順次、取り上げていこうと思っています。ご要望があれば、いつでもお気軽にメールをいただければ幸いです。

メールマガジンの内容でご質問やご意見、ご感想などあれば、mailmagazine@pressa.jpまでお気楽にメールいただければ幸いです。配信した内容とは無関係の質問でも結構です。お返事をお送りできるのはその週の終わりになると思いますが、ご容赦ください。必ずお返事はいたします。

またメールマガジンの内容は、全文引用でなければ、内容の紹介や一部引用はどんどんやっていただいて問題ございません。 

***

ぜひ記事のシェアをお願いいたします。

佐々木俊尚

無料で「佐々木俊尚の未来地図レポート」をメールでお届けします。コンテンツを見逃さず、読者限定記事も受け取れます。

すでに登録済みの方は こちら

読者限定
「人はただ記憶によって個人たる」攻殻機動隊が提示した哲学【伝説のSF漫...
読者限定
体も脳も代替される時代、人間の本質について【伝説のSF漫画を読み解く・...
読者限定
AI 時代の新教養(3)マーケティングのプロが完敗した「AIの見えざる...
読者限定
AI 時代の新教養(2)人工知能の育て方「バックプロパゲーション」とい...
読者限定
AI 時代の新教養(1)「閾値を超えると発火」AIと人間に共通する思考...
読者限定
AIがコピーした人格は偽物なのか?近い将来に直面する「不気味の谷」問題...
読者限定
AIが再現する人間の個性、「その人らしさ」とは何か
読者限定
「死んだ友人をAIにする」悲劇をテクノロジーで乗り越えようとしたロシア...