ブログが生みだした「個人のエンパワー」と「中傷デマの横行」という二面性、そして世代間対立の表出2014.8.4
佐々木俊尚現在の視点
インターネットの出現、なかでもブログや2ちゃんねるに始まりツイッターへと続いていくSNS言論空間の拡大。これは前世紀の「昭和的」な社会へのアンチテーゼとして台頭してきて、2000年代には新聞テレビとネットの激しい衝突を生みました。新聞テレビのおかしな報道を訂正し、社会の「良識」を可視化させてきたネットの功績ははかりしれませんが、同時にそれは誹謗中傷やデマという副反応をも引き出しました。このあたりの2000年代メディア空間の構図を、歴史をふりかえりつつ解説しています。
ブログが生みだした「個人のエンパワー」と「中傷デマの横行」という二面性、そして世代間対立の表出 〜〜インターネットの言論空間はどう変わってきたのか。その歴史を振り返る(2)
前回に引き続いて、2ちゃんねるからブログ、そしてソーシャルメディアへといたる日本のネット言論の変遷について振り返るシリーズです。 2005年ごろからブログ文化が興隆してきたのですが、それを「言論空間」「新たなジャーナリズムの胎動」ととらえようとすると、さまざまな問題も現れてきました。
そもそもブログの大半は一次情報を持っていません。全国紙などで配信された記事をもとに分析や論評を加えているだけのケースが多いことや、ブログで語られる話題には情報ソースがはっきりしないものが多いこと。他のブログでさも真実のように語られていた嘘を、そのまま真実と信じ込んで紹介し、それがトラックバックを経由し、リレーゲームのように増幅して嘘が蔓延してしまったというケースもたくさんありました。
これはその後の10年にわたって、マスメディア側の「しょせんわれわれの一次情報を利用しているだけじゃないか」というフリーライド論の論拠にもなっていますよね。それをめぐって延々と、報いのない対立と論争が繰り返されることにもなったし、また2011年の東日本大震災以降の原発事故をめぐる状況では、同じ論がくり返しくり返し単一の「反原発」クラスターの中で循環することによって、デマや風評被害を大量に生み出す結果にもなっています。 この問題は、全面的な解決が原理的には不可能だとわたしは考えています。