IT化が進むと民主主義は崩壊し、国民は貧しくなる
佐々木俊尚現在の視点
民主主義が西欧で生まれて、それを新聞のようなメディアがどう支え、両輪となって併走してきたのかを歴史を振り返って概説しています。このメディアの歴史を知ることは、SNSの時代に民主主義がどう成立するのかを考える上で非常に重要な知識だと思います。
民主主義というシステムは間もなく終わりになるかもしれない 〜〜産業革命が支えてきた市民社会の歴史を振り返ってみる
われわれはいま「ひとつの民族がひとつの国」という国民国家と、それに基づく民主主義というシステムの終焉を前にしているのかもしれません。 国民国家にしろ、民主主義にしろ、それらがベストなシステムであるのかと言えば、決してそうではありません。そもそもそれらは西ヨーロッパという非常に特殊な場所で生まれ、発展してきたものです。
この問題意識は重要で、ひょっとしたらわれわれはいま「ひとつの民族がひとつの国」という国民国家と、それに基づく民主主義というシステムの終焉を前にしているのかもしれません。
しかし国民国家にしろ、民主主義にしろ、それらがベストなシステムであるのかと言えば、決してそうではありません。そもそもそれらは西ヨーロッパという非常に特殊な場所で生まれ、発展してきたものです。
このことは実は、いま執筆中の新著の内容と重なっています。先日もFacebookで書いたのですが、グーグルやアップルやアマゾンという新しい構造を持ったプラットフォーマービジネスの台頭と、グローバリゼーションで企業力と国力が一致しないという新しい多国籍企業の概念の出現は、現在の国民国家をベースにした民主主義の概念、国内経済を軸にした国際経済の概念を壊していくのではないかということです。
そこで今回は、「民主主義というシステムはどのようにして生まれたのか?」ということを歴史を振り返りながら考えてみたいと思います。
民主主義のスタートは、17世紀ごろのヨーロッパ市民社会に求めることができるでしょう。
それに先んじた大航海時代には、貿易で大儲けする商人たちがたくさん登場しました。さらにパリやロンドンのような首都が発展してくると、お金やモノが首都に集まるようになる。首都で商いをする人たちもこれでたいへん豊かになりました。
そういうところから、ブルジョワジーと呼ばれる中流階級が生まれてくるわけです。そしてこのブルジョワジーたちが大きな経済力をもつようになって、それまで政治を独占していた王や貴族にたいして「私たちも政治に参加させろ」と求めるようになります。
それまで政治は、王のいる宮廷や貴族の邸宅で行われていました。王や貴族でつくる社交界が、政治の場所だったということですね。しかし新しい富裕層であるブルジョワジーが台頭してくると、イギリスでは彼らは「コーヒーハウス」という喫茶店のようなところで政治や社会、経済について議論するようになります。
この17世紀のコーヒーハウスについては、以下の本がたいへん参考になります。
■『コーヒー・ハウス』(小林章夫、講談社学術文庫)
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この本から少し紹介してみると、ロンドンのコーヒーハウスでは、あちこちのテーブルに新聞や雑誌が置かれて客は自由に読むことができたそうです。コーヒーハウスには身分や職業に関係なく、だれでも店に出入りでき、貴族やブルジョワジーが混じって議論する場ができていました。
タバコのけむりはもうもうと凄まじかったようですね。ただ酒は出されなかったため、どうしても飲みたい者は近くの酒場に出かけていって一杯ひっかけ、またコーヒーハウスに戻ってきて議論するといったことが行われていたようです。酒を出さないため金がかからず、なにより酔って頭がもうろうとしないため、まじめな話を有意義に議論することができたといいます。だからブルジョワジーたちは仕事がひと段落する午後になると、皆こぞってコーヒーハウスに出かけていき、大いに議論に花を咲かせました。
宮廷近くのコーヒーハウスでは、身につけるアクセサリや香水、競馬、流行のファッションといった貴族中心の話題がいつも盛りあがっていたそうです。また当時生まれてきた政党であるトーリー党の仲間が集まったココア・ツリー・チョコレート・ハウスでは賄賂や政治腐敗、汚職している高官、政府の失政などが激しい議論になりました。
イギリスの初期の二つの政党、トーリー党とホイッグ党には、ブルジョワジーがたくさん参加していました。一方のホイッグ党の面々は、セント・ジェームスというコーヒーハウスに集まりました。政治談義でいつもメンバーは大騒ぎし、「スペイン王国はまもなく壊滅するだろう」「フランスのブルボン王朝の血統はまもなく絶えるにちがいない」といった物騒な議論も横行していたようです。
コーヒーハウスで自由で活発な議論が行われていることに対して、1675年にはチャールズ国王が「不満分子がコーヒーハウスを根城にして国王や大臣の政策について怪しいことを広めている」とコーヒーハウス閉鎖を命じるという事件も起きました。しかしこれに対しては多くの人が猛烈に抗議し、布告はわずか10日後に撤回されます。
コーヒーハウスは情報発信の拠点にもなっていました。ここに新聞や雑誌が置かれ、多くの人に回し読まれ、また字の読めない人にはだれかが読み聞かせてあげ、そうやって情報がどんどん広がり、いまにいたるまでのジャーナリズムの原型を生み出していったということなのです。
ニュースをあつめる場所にもなっていました。新聞記者たちはコーヒーハウスにやってきて、友人と談笑したり、まわりの人間の話に耳を傾けて、新聞記事になりそうな話をあつめたそうです。投書箱も置かれて、投稿をもとに記事が書かれました。
こういう話を読むと、当時のコーヒーハウスはまるで今のTwitterのようなソーシャルメディアの場として機能していたことがわかります。つまりは情報のハブの役割を果たしていたわけですね。後ほど述べる民主主義の大衆化の時代にはマスメディアが中心になったのと比べ、この時代はまだこのような小規模なインターネット的メディア空間が中心だったというのは、時代の回帰を思わせて非常に興味深いものがあります。
それはともかく、このコーヒーハウスを媒介にして新興のブルジョワジーが政治に参加する基盤ができあがっていきました。これこそがヨーロッパ近代の市民社会のはじまりであり、これが民主主義というシステムになっていくわけです。
しかしこの当時はまだ、人口の大多数をしめる下流の労働者たちはまだ政治に参加していません。政治に参加できていたのは、中流から上の層だけだったのです。そしてこういう構造は、200年ぐらいは続きました。
しかし十九世紀の終わりごろになってくると、ついに労働者階級が台頭してきます。