「マスの衰退と個人の台頭」創作やジャーナリズムはどう変わるべきか
佐々木俊尚現在の視点
たとえば、誰かに連れられて初めての登山に出かけているとします。あなたは山が怖くてしかたないけれど、連れてきてくれた彼は自信たっぷりに「安心していいよ。僕がリードします」と答えます。そうして登り始めたのですが、やがてコースは岩稜へと差し掛かり、登山初心者のあなたは怯えてしまう。「落ちて死ぬんじゃないか…」。しかしリーダーの彼は慣れているのか、何も気にせずガンガン岩場をよじ登っていく。
新時代のジャーナリストに必要なスキルとは(後編)
前回、これからはジャーナリストに必要なスキルとして「マルチメディア」があると書きました。マルチメディアというのは、ブログやSNS、Twitter、YouTube、Ustreamなどのさまざまなソーシャルメディアを多方向(マルチ)に展開していく、という意味です。
私は『電子書籍の衝撃』という本の中で、インディ系ミュージシャンのまつきあゆむさんのケースを紹介しました。まつきさんは音楽CDをレーベル経由で販売してもらうというビジネススタイルに見切りをつけ、自分自身が直接リスナーとつながることによって、そこですべてのマネタイズをしてしまおうと考えている新しいタイプのアーティストです。
彼の話は、ジャーナリズムのマルチメディア展開に非常に参考になります。私は『電子書籍の衝撃』脱稿後、集英社の文芸誌『小説すばる』に連載した電子書籍についての記事の中で彼をインタビューしています。この連載をお読みになった方は少ないかと思いますので、内容を引用しながら紹介しましょう。
まつきさんは1983年生まれで、レーベルビジネスが衰退したのちにプロになったひとりです。当然、レーベルに囲われて生計を維持できるようなエコシステムはよほどの売れっ子でない限りもう存在しません。
「納得のできないことはたくさんあった。レーベルには多くのスタッフがいて、僕のCDを出すためにそうした多くの人が働いてくれる。だからもの凄い多くの制作コストがかかっている」
そう彼は話しています。まつきさん本人はミュージシャンとしての生計は立てられず、当時もいまもアルバイトを続けています。いまやCDの印税率は1〜2%で、アルバムを1枚出しても入ってくる印税はせいぜい飲み代ぐらいにしかならなりません。
アルバイトの若者がつくる楽曲を世に出すために、レーベルに勤める正社員がたくさん働いているという不思議なギャップ。しかしマスマーケティングが中心の音楽の世界では、マスボリュームに音楽を届けるためにはレーベルを経由せざるを得ないということなのです。「直接リスナーに音楽を届けられるのなら、こんなにコストをかけないでもすむのに」とまつきさんは思いましたが、その方法が存在しない以上は空論でしかありませんでした。ところが2009年ごろから、状況は大きく変わってきます。TwitterやSNSをはじめとするソーシャルメディアが、日本国内でも凄まじい速度でリアル社会に進出しはじめてきたからです。
彼はいまやレーベルとも契約せず、事務所にも属さず、録音スタジオも使っていません。自宅のマンションにある機材だけを使って録音作業を行い、Ustreamを使って自宅録音の様子を「ほうかご実験クラブ」という名前で放送しています。
さらにYouTubeには、自分で作ったプロモーションビデオを流し、音楽SNSのMySpaceでは「新曲の嵐」と題して、毎週月曜日に1曲ずつ発表し続けるという企画を続け、すでに楽曲数は100曲以上に達しています。Twitterで1000人をフォローし、その1000人のツイッターでの「つぶやき」の中から拾い集めた言葉で曲を作るという試みも行いました。
さらに彼が今年元旦に発売したニューアルバム「一億年レコード」はCDにもなっていなければ、iTunesストアでも販売されていません。公式サイトで「アルバムを買いたい」とメールすると、折り返しまつきさん本人から「この銀行口座に代金を振り込んでください」と返信されてくるシステムです。入金が確認されると、「ここから曲を入手してください」と再び彼から連絡があり、リスナーは、まつきさんのウェブサイトから楽曲データを自分でダウンロードして聴くのです。
さらに彼は、公式サイトで「M.A.F」というプロジェクトも行っています。これは「まつきあゆむファンド」の略語で、要するに彼の音楽活動を支える基金を人々から集めようというものです。集まった金額と、それを何に使うのかはすべて透明化して、ウェブサイトに掲載してしまっています。
まだ彼はアルバイト生活からは脱却できていません。しかし「かなり先は見えてきた」といいます。彼の言葉を紹介しましょう。